一番好きなとっておきのハンカチ、つかいかた、思い出など、
ハンカチにまつわることを、H TOKYO/swimmieに関わる周辺のひとに、
お伺いしています。

今回はH TOKYOの包装紙やショップカードなどの
折りの工程など、様々なところで助けていただいている
世田谷福祉作業所の中村勘太さんにお話を伺いました。

ハンカチのことはもちろん
福祉作業所のお仕事についても
色々教えていただきました。

a

—お持ちいただいたハンカチの好きなところ、
オススメのポイントは何ですか?

実はこれ、つい先日衝動買いしたハンカチです。

—これはH TOKYOの丸の内店で 先行発売されている
「キッテハンカチ」ですね!

そうなんです。先日KITTEに伺って買いました。
「これからお気に入りにするぜ!」という ことを
お伝えするためにお持ちしました 笑

b

—ありがとうございます!嬉しいです!
こちらは年季が入っているハンカチですね。

とっておきはこちらで たぶん、もう20年以上前から持っていて
しかも今でもかなりヘビーに使っている 現役バリバリのハンカチです。
持っていると落ち着きますし これがないと寝られない
ってほどではないですけど 笑
でもそれに近いタイプのものです。
だからボロボロなんですよね。

—これは「となりのトトロ」ですよね?

はい。僕ずっとジブリが大好きで 親に買ってきてもらったんです。

c

—ジブリの中では「となりのトトロ」が一番好きなんですか?

僕下の名前が「勘太」というのですが そういう意味で、
トトロはとても他人事でない身近に感じる作品なんです。
※主人公サツキのクラスメイトで「カンタ」くんが登場するため。

—小さな頃からハンカチはお持ちだったんですか?

いえ、ハンカチ・ティッシュを毎日持っているような
そんな子供ではなかったです。
うちは父子家庭で父親だけなので
毎日「ハンカチ・ティッシュ持った?」というような
こともなかったですね。
なので鼻水はゴシゴシと手で拭いてましたし
手を洗ってもズボンや洋服で拭いてました 笑
もしハンカチを持っていたとしてもポケットに入れておくだけで
そのまま洗濯機にというような感じでした。
ですからハンカチを持ち歩くということは
あまりなかったように思います。

—でもこのトトロのハンカチは小学生くらいから
お持ちですよね?

そうですね。
でも買ってもらった当初は毎日持ち歩いていたわけではなくて。
だんだん成長して体質も変化して アレルギー体質がヘビーになってきてからですね。
だから持つようになったのは大学生くらいになってからだと思います。
鼻に何か生地が当たっていないと不安というのは 笑

–生地はタオル生地がお好きなんですか?

はい!基本僕ハンカチはタオル生地ラブなんです!
というのも、まず泣き虫であること。感動泣きが多いんです。
それと結構な鼻炎持ちなので
鼻の下に何かがないと落ち着かない体質の人間なんです。
ティッシュで鼻をかみ続けると
鼻の下がガビガビになってしまうので
そうなったらタオル生地のハンカチの出番なんです!
ハンカチをあてているだけでだけで安心しますし
寝るときもタオルを顔にのせて寝ています 笑
今の季節は毎晩そうですね。

—本当にタオル生地がお好きなんですね。
昔から使っていたのですか?

そうですね。高校の時は陸上部だったので
その時はスポーツタオルをずっと首に巻いていましたし
大学ではテニスサークルだったんですが
やはり常にスポーツタオルを首に巻いていて
タオルとともに生活しているという感じです 笑
それくらいの存在です。 そうこうしているうちに鼻炎がひどくなってしまったので
そのつど箱ティッシュを持ち歩いていたのですが
箱ティッシュ持ち歩くのも大変だし、勿体無いし大変だなと思った時に
「タオルを1枚持てば解決する!」ということを発見し、
タオルハンカチを使い始めました。
なのでトトロのハンカチも
キャリアは20年ですがだいぶ遅咲きです。
ただ使っては洗濯、使っては洗濯を繰り返していて
干したらすぐ使うという感じなので
ボロボロな感じになってしまいました 笑

—こちらのハンカチはフォーマルな時に使う感じですか?
そうですね。
そんなに服とかおしゃれとかは気にしないんですけど
僕の一張羅といえばFRED PERRYなんです。
結構衝動買い系のハンカチです。
広げると柄が4つになっているところもいいですし
「ザ・FRED PERRY」な感じがして。
これは鼻を拭くタイプのハンカチではなくて
いわゆる見せハンカチです。
なのでこれはむしろ使わないかもしれません。
本当にちらっと見せるというか。
見せハンカチの中でもより「見せるだけハンカチ」というか。

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—タオル以外のハンカチも買われることはあるんですね。

それはもう最近になってからですね。
フォーマルに使えるものも持っていないとダメだなって
思ったんです。

—何かきっかけがあったんですか?

社会人になって友達の結婚式とかもそうですし、
8年か9年前にじいちゃんが亡くなった時に思いました。
葬儀の時って礼服着てるじゃないですか。
出棺のとき号泣だったのですが
さっきのトトロのハンカチみたいなものしか持っていなくて。
実は恥ずかしくて出せなかったんです!
なので拭くこともできずに涙も鼻水もダラダラ流してて。
すごく悲しい気持ちと 恥ずかしくてハンカチが出せないという気持ちの狭間で
苦しみながらじいちゃんを見送ったんですよね。
「ああダメだな」って思ったんです。
それでいくつかフォーマルな時にも使えるハンカチを買いました。
でもやっぱり最初はタオル生地を買ったんですけどね 笑
必要性に迫られて、使うハンカチのジャンルを広げた
というところもあると思います。
受け身なハンカチライフですよね。
正直自分から「ハンカチが好きで!」と買うことはないんですけど
「使う」というところでは買っています。

—H TOKYOのハンカチを知ったきっかけは
やはり作業所さんでお願いしているお仕事ですか?

はい。大学の時からハンカチは使ってはいましたが
こんな風にハンカチにもおしゃれなものがあるとか
ハンカチ屋さんがあるとかそういった感覚は全然なかったんです。
世田谷福祉作業所に来て働き始めて
近くにH TOKYOというハンカチ屋さんがあって
そのお店から作業として包装紙やショップカードを
折る仕事を受けているのだと
先輩職員から教えてもらってはじめて知った感じでした。
失礼な話ですけどハンカチ一本で
作業所に仕事の発注ができるくらい商売が成り立つのかって
びっくりしました 笑
でも仕事を引き継いだ当時は
緊張する取引先さんという感覚が強かったですね。

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※世田谷福祉作業所さんで折っていただいている包装紙とショップカード

— 中村さんは世田谷福祉作業所さんで働く前も
同じお仕事をされていたんですか?

そうですね。
世田谷福祉作業所は社会福祉法人武蔵野会が
運営しているのですが、以前は同じ法人の別の施設で働いていました。
それが伊豆大島にある入所の施設だったんです。
島で4年間暮らしていました。

—大学を卒業されてはじめて働いた先が島ですか?

はい。そうなんです。
トトロのハンカチも連れて行きました 笑
配属先を希望できたんですが、自ら島を選びました。
青写真を描いていたんですよね。
のどかなスローライフというか。
当時テレビドラマで「Dr.コトー診療所」がやってて
島の人たちがすぐに覚えてくれて、優しく声をかけてくれて
頼りにしてくれるみたいな。
でも現実は真逆でした 笑
そんな一朝一夕には覚えてもらえないですよね。
その後異動して5年前に世田谷福祉作業所に来ました。

—H TOKYOと密にやり取りしてくださるようになったのは
最近ですよね。

施設の中の仕事としては作業の部門がいくつかあるんです。
その中にリーダーがそれぞれいます。
民間の企業や世田谷区からの仕事を請け負う窓口と
お菓子を作ったり手すきの紙雑貨を作る部門のリーダーが
一人ずついて3トップみたいな感じになっています。
企業や世田谷区からの仕事を請け負う仕事の窓口を
平成27年度から自分がやっています。


※ショップカードを折っている様子

—大学でも福祉のことを学んでいらしたんですか?

いえ、まったく違います。
大学では日本史を選択していました。
今全く役にたっていないです。
少しくらい歴史好きな人とかいないかな〜とは
思っているんですけど 笑 なので「大学卒業」というところだけが
残った感じで、勉強が今につながっている感じではないです。
教員免許はとろうかなあと思っていたのですが
途中でやっぱりいいかなと思ってやめたので
何も資格も知識もない状態でした。
バイトで少しかじっていたところはあったのですが。

—アルバイトでどんなお仕事をしていたのですか?
メインは焼肉屋だったんですけど 笑
ちょっと知り合いからお願いされて
知的障害を持つ小学生から高校生までの子供の
放課後の活動を支援する事業所があって
そこでアルバイトをしていました。
就職活動を始めるときに毎日スーツは絶対嫌!と思っていて
それでこれを仕事にしたらいいのではないかと考えました。
それで見つけたのが今の法人でした。
さらに島の勤務もあったので面白いじゃんと思って
面接の時も「大島に行きたいです」と話しました。

—実際に働いてみて仕事は好きになりましたか?

よく知らないし、福祉業界で何がしたいということも
あんまりビジョンがないまま働き始めたので
1年目、2年目はよく分からなかったです。
楽しいと言うよりはよく分からないという感じでした。
楽しくも辛くもないしモチベーションもないというか。
島も思った生活と違うし・・ そんな1、2年目でした。
自分から希望して行ったものの、
異動できるチャンスを早くも伺い始めていました。
でも3年目になって、大島での生活の中で地元の知り合いができたり
ごはんをご馳走になったりしているうちに
島暮らしが楽しくなっていました。
プライベートが充実してくると仕事にも目が向いてくるというか。
それからですかね、仕事も楽しくなったり
「これを頑張ろう!」というものが出てきたのは。

—島でも今と同じように利用者さんと一緒に
お仕事をするような感じだったのですか?

入所施設だったのでそこにずっと利用者は生活しているんです。
日中は作業する人もいれば
リラクゼーションをしたりとかもありましたが
分かりやすくいえば、「お風呂、ごはん、寝る、トイレ」などの
生活面の支援もありました。
ローテーション勤務で夜勤とかもありました。
世田谷福祉作業所の利用者より
障害が重度の方が多かったので
そういった支援の仕事をしていました。

—ハンカチについてのこだわりはありますか?

やっぱり基本はタオルハンカチです。
吸水力と慣れ親しんだこの生地感ですね。
これからもずっとタオルハンカチを中心に
見せハンカチを少し増やしていく感じだと思います。
「使う」なら、まずはタオル生地の中から選びますね。
あとは汚れが目立ちにくいとか。
「見せる」なら、ほらすごいでしょって
思わず見せたくなるものやポケットからちらっと
見えておしゃれなものがいいですね。
「こんなところにもちゃんと気を使っているんだ」と
思ってもらえるような。
ある意味見栄ですね 笑
見栄で買ったハンカチはよほどのことがあっても使いません。
二刀流のハンカチ王子なので。

—好きなハンカチの使い方はやはり・・・笑

涙を拭く、鼻を拭く、抑えるですね。
電車とかでも鼻炎で困ることが多いので
ヘビーユーズするハンカチは
ビニール袋に入れてから鞄に入っています。

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※実際に持ち歩くときの様子

—ハンカチは何枚くらいお持ちですか?

見せハンカチが5、6枚。
でもこれは劣化しないのでずっと増えていくだけでしょうね。
あとヘビーユーズしているタオルハンカチが10枚くらい。
これは使い潰す感じで100均で買っちゃうものもあれば
とっても上質なタオルハンカチもあります。
実は第三形態のハンカチもあるんです。
それも入れると30~40枚くらいですね。
残りの15〜20枚が第三形態です。

—第三形態ってなんですか?!

これはですね、趣味を兼ねたコレクションです。
実はこのトトロのハンカチもコレクションだったんです。
僕、スタジオジブリがめちゃくちゃ好きで
それと劇団四季も好きなんですよ。
舞台を見に行った時とかに手軽に買える
オフィシャルグッズとしてタオルハンカチを集めているんです。
なので基本は使わないです。
でももしかするといつかヘビーユーズに
移籍する可能性も秘めていますけど 笑

—第三形態チームは引き出しの中に入っているんですか?

大島にいた時は家を借りていたんですが
家賃が安いので広い平屋の一軒家に住んでいました。
その時は壁がいっぱいあったので
ジブリや劇団四季のグッズを全部飾っていました。
ストラップや非売品の何回か見たらもらえるグッズとかと
タオルハンカチも並べていました。
まるでミュージアムでした。
今は引っ越して家も狭くなってしまったので
引き出しの中にしまってあります。

—引き出しの中のハンカチたちはたまに眺めたりするんですか?

そうですね。
あとは何か人前で劇団四季のパロディとかをやる用事が
ある時にギャグ的に使ったりもします。
ハンカチをつなげてスルスル出してみたりとか。
そういう用事を自分で作り出したりもしますね 笑
これが第三形態の使い方です。

—世田谷福祉作業所でのお仕事について教えて下さい。

外からのお仕事だと、折り込みちらしを挟んだり
それをそのままポスティングに行くこともあります。
和菓子の箱を組み立てたりもありますね。
近隣の公園のお掃除もしています。
あとはお菓子の製造と手すき紙の雑貨作りです。


※包装紙を折っている様子

—色々なことをやってらっしゃるんですね!

はい!やれないものはないと思います。
どうにかやり口を見つけてやってみせますので
ぜひお仕事ください!!!
普通ならめんどくさいと思ってしまう仕事こそ
得意な人もたくさんいますので。

—今後やってみたいこととかありますか?

我々としてこういう施設があるということを
まず知ってもらいたい気持ちはもちろんあります。
どんなことでも来てくれたりお仕事をいただいたり
することはとっても嬉しいんですけど
お仕事を頼もうとか来てみたいと思えるためには
どうすればいいかなと思っています。
それに、僕たちも相手のことを知らないとその辺って
歩み寄るの難しいと思うんです。
ただ「障害を持った人が頑張っています!」
とアピールするだけではなく
そういう福祉とかが分からない人でも
なんとなくニュアンスがわかる表現やツールを使って
発信できるといいなと思っています。
そのパイオニアとなるのが先日作った新聞です。

わいわいコマーシャル

—これはH TOKYOでも話題でした!
大変なお仕事だと思いますがとても楽しそうだなって。
ああいった時間を作っていることもすごいなと思いました。

あれももちろん仕事なので勤務時間中にやっています。
どんな時間かは企業秘密です 笑

—このお仕事は好きですか?

好きですね。
もちろん大変なことも嫌なこと、苦手なこともありますけど
それも楽しむというか。
「あれもこれもすごいことになった!」
みたいなことを楽しむ癖があるんですよね 笑
カオスになることに快感を覚えてしまうところがあるので、
そういう意味では向いているかもしれません。
大変な仕事ではありますが
でも大変じゃない仕事ってないじゃないですか?
それは、「ものは考えよう」かなと思います。
福祉だけが大変なのではなくて
仕事している人はみんな大変で、
福祉は福祉の大変さがあって。
そのひとつにすぎないかなと思っています。
「なのでなんで自分だけが!?」とか
「この業界は・・・」とかは思っていないです。

—中村さんからはとてもその前向きのオーラを感じます!

ありがとうございます!
もちろん反動で家の中でじーっとしている時もありますけどね。
それもバランスですから 笑
異動もあるのでずっとここにいるわけではないと思いますが
別の場所に行ってもその場所にあった盛り上げ方、
盛り立て方があると思うので そこを活性化していきたいですね。
今の立場的にも施設の中で直接利用者を支援するっていうことよりは
その職員を指導したり施設と外の企業や仕事とコラボしたりマッチングしたり
新しい何かやろうよ!という役割が増えてきたのですが、
それも福祉の仕事かなと思っています。
僕なんかは学生時代は全然勉強もしなかったから
実際に利用者と関わる仕事のレベルでは、
僕より優れている職員はたくさんいるし
自分は自分で得意な部分を生かして外から
色々なものを取り込んできて・・というところを
楽しみながらやるのがいいのかなと思っています。

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※ハンカチの使い方を実演してくださったお茶目な中村さん

ありがとうございました。
中村さんの前向きパワーにとても元気をいただきました。
お店にいらした際は世田谷福祉作業所の
利用者さんたちが折ってくださった包装紙やショップカードも
ぜひご覧ください。


中村勘太
1984年5月28日生まれ 32歳
血液型 A型
日本大学卒業
テニスサークルとお酒に明け暮れた結果、
一年間の留年を味わい、テニスサークル現役時代の輝き(?)とは対照的な
日陰を歩き続ける学生生活も1年間経験。
卒業後、社会福祉法人武蔵野会へ入職し、
伊豆大島にある入所施設で4年間、勤務した後、
現在の世田谷区立世田谷福祉作業所に異動、現在に至る。
働きながら、国家試験の勉強をし、介護福祉士と社会福祉士の資格を取得。
社会人になってから勉強する楽しさにも少しめざめ、
現在、漢検準1級受けようかな~と考えている。