フィードサックストーリー(3)

フィードサック(feedsack)とは、アメリカで穀物・種・食べ物・飼料などをいれるのにつかわれていた袋のこと。特に1930年代~50年代には華やかなプリントがなされ、人気を博す。H TOKYOではその時代のヴィンテージの生地を扱いハンカチにしています。
そのフィードサックにまつわるストーリーをご紹介します。
1930年代~50年代のフィードサック黄金時代。
1920年代にある新興の生産者があるアイディアを思いつきました。袋をもっとデザインしてかわいくすれば、農家の奥さんにもっと売れるのではないか?これがたちまちヒットし、爆発的に売れるようになりました。各社はそれぞれ専属のデザイナーを起用し、色や柄などオリジナルものを出しました。会社の広告もラベルが紙でのり付けされたものになり簡単に取り外せるようになりました。
こうしてフィードサックはあらゆるものにつかわれるようになりました。メーカーもピローケース、エプロン、カーテン用など特定のものに使えるようプリントされた生地や映画やコミックなどのシリーズものなどを開発しました。出版社からもフィードサックに関する書籍が出ました。
当時フィードサックは、各マーケットでサイズもまちまちで、フィードサックは40%強のシェアを小麦粉、20%弱が砂糖でした。このサイズを統一したのがルーズベルト大統領、1937年のことでした。50ポンド(約25kg)の袋が34×38インチ(86×97センチ)。
一面でハンカチ2枚分の大きさですね。
折りしも大恐慌の時代、洋服を買う余裕もない主婦達は、いかに自分のほしいフィードサックを入手することに心血を注ぎました。一家の主も大変でした。買い付けには必ず奥さんか娘の同行が必要で、はるばる遠い道のりを買いにいき、2m近くあるうずたかく積まれた25kgの袋をどかしながら、奥さんのために希望の柄のフィードサックをとってあげたいう涙ぐましい努力の話しも…
こうして40年代初頭には400万人近くの人間がフィードサックを身につけていたといわれています(どうやって調べたのかわかりませんが)
そのフィードサックがなぜ世の中からなくなってしまったのでしょうか?
(続く →フィードサックストーリー(4))

フィードサックストーリー(2)

フィードサック(feedsack)とは、アメリカで穀物・種・食べ物・飼料などをいれるのにつかわれていた袋のこと。特に1930年代~50年代には華やかなプリントがなされ、人気を博す。H TOKYOではその時代のヴィンテージの生地を扱いハンカチにしています。
そのフィードサックにまつわるストーリーをご紹介します。
先回の続き19世紀半ばから1920年代まで。
19世紀半ばに開発されたミシンによってフィードサックは商業的に使用可能なものになり、19世紀後半には大量生産化されました。当初は家庭では空になった袋をもっていって、小麦粉や飼料などをつめてもらっていましたが、生産者にとって前もって袋つめしてある方が簡易なため、袋つめで販売するようになりました。1920年代まで綿は生地の中心でしたが、レーヨンなどの合成繊維が台頭すると、綿の価格は下落し、むしろ生産者はより綿の袋で供給しやすくなったのです。
そうして空になったフィードサックは、代わりに家庭でタオルやリネン、洋服、下着などにつかわれるようになったのです。
当初フィードサックは、漂白されてなく、会社の宣伝がプリントされた状態で販売されていました。主婦達は洋服やリネン類に使えるよう苦心しながらプリントを洗剤で落としました。それでも肌着としてつかうにはそこまでする必要もないと考える人もいて、おもしろい話が残っています。
ある女性が、婚約者と道を歩いていて、すべって転んでしまいました。婚約者は、フィアンセの下着に「SOUTHERN BEST!(南部で一番!)」と書かれているのを発見した…
すいません…アメリカンジョークなので。
1920年代にある新興の生産者があるアイディアを思いつきました。袋をもっとデザインしてかわいくすれば、農家の奥さんにもっと売れるのではないか?
(続く →フィードサックストーリー(3))

フィードサックストーリー(1)

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フィードサック(feedsack)とは、アメリカで穀物・種・食べ物・飼料などをいれるのにつかわれていた袋のこと。特に1930年代~50年代には華やかなプリントがなされ、人気を博す。H TOKYOではその時代のヴィンテージの生地を扱いハンカチにしています。
そのフィードサックにまつわるストーリーをご紹介します。
まずはプリント柄が登場する以前。1800年代半ばまで。
1800年代前半 生産者による穀物、種、食物や飼料などの輸送や貯蔵につかわれていたものは、ブリキの缶や木の樽などでした。ただしブリキはすぐにさび、木の樽は壊れやすいものでした。ブリキも木の樽もかさばり、重く輸送には不向きでした。
一方で家庭ではホームスパンリネンを穀物をいれる袋として使用してきました。ホームスパンリネンとは手で紡いで織り上げた手づくりの布のこと。そうした袋は一家の大事な財産として考えられていました。
その多くはイニシャルや名前を刺繍され、誰のうちのものかわかるようになっていました。
しかし生産者にとって手縫いの縫製であるホームスパンリネンでは重いものをいれるのに耐えられず、輸送に使うことはできないと考えられてました。
しかし1846年に縫製ミシンが登場すると一変しました。縫製は強固のものとなり、重さに充分に耐えられるようになったからです。
(続く →フィードサックストーリー(2))

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