フィードサックストーリー(4)

フィードサック(feedsack)とは、アメリカで穀物・種・食べ物・飼料などをいれるのにつかわれていた袋のこと。特に1930年代~50年代には華やかなプリントがなされ、人気を博す。H TOKYOではその時代のヴィンテージの生地を扱いハンカチにしています。
そのフィードサックにまつわるストーリーをご紹介します。
今回は最終回。1950年代以降、フィードサックの終焉。
なぜフィードサックが世の中からなくなってしまったのか。
フィードサックは、第二次世界大戦後、科学技術の発達によって衛生的で、機能的な紙製品やプラスチック製品にとって代わられ始めました。
実際、紙の袋を作るのに10セントでできる一方、フィードサックを作るのに32セントかかったからです。また女性の社会進出に伴い、手間のかからない化学繊維の洋服が人気になりました。1948年頃になると紙製品のシェアは半分近くを占め、やがてフィードサックは市場から姿を消してしまいました。
ものを大事にし、有効に使われてきたフィードサックがないのは残念な気がします。
現在フィードサックはアメリカでは一部のコレクターアイテムとなっています。でも実は、いまだにアーミッシュなど一部のコミュニティでは実際にフィードサックを要望し、現実に使用されているそうです。現代でも生き続けていたんですね。
H TOKYOではこの時代のフィードサックやヴィンテージ生地を使い、ハンカチにしております。生地はアンティークになりますので、商品により若干の汚れや黄ばみがあります。生地はできるだけ状態のよいものを選んでいますので、商品にできるものも限られています。基本的には1つの柄で1枚から2枚しか作っていません。
世紀をまたいで、太平洋をまたいで、日本でフィードサックがハンカチとしてよみがえっているなんて素敵な話しではないでしょうか。
フィードサックを理解し、お選びいただければ一生の宝物となるものと信じています。
今後少しずつ、入荷する予定になっています。どうぞお楽しみに。(完)

フィードサックストーリー(3)

フィードサック(feedsack)とは、アメリカで穀物・種・食べ物・飼料などをいれるのにつかわれていた袋のこと。特に1930年代~50年代には華やかなプリントがなされ、人気を博す。H TOKYOではその時代のヴィンテージの生地を扱いハンカチにしています。
そのフィードサックにまつわるストーリーをご紹介します。
1930年代~50年代のフィードサック黄金時代。
1920年代にある新興の生産者があるアイディアを思いつきました。袋をもっとデザインしてかわいくすれば、農家の奥さんにもっと売れるのではないか?これがたちまちヒットし、爆発的に売れるようになりました。各社はそれぞれ専属のデザイナーを起用し、色や柄などオリジナルものを出しました。会社の広告もラベルが紙でのり付けされたものになり簡単に取り外せるようになりました。
こうしてフィードサックはあらゆるものにつかわれるようになりました。メーカーもピローケース、エプロン、カーテン用など特定のものに使えるようプリントされた生地や映画やコミックなどのシリーズものなどを開発しました。出版社からもフィードサックに関する書籍が出ました。
当時フィードサックは、各マーケットでサイズもまちまちで、フィードサックは40%強のシェアを小麦粉、20%弱が砂糖でした。このサイズを統一したのがルーズベルト大統領、1937年のことでした。50ポンド(約25kg)の袋が34×38インチ(86×97センチ)。
一面でハンカチ2枚分の大きさですね。
折りしも大恐慌の時代、洋服を買う余裕もない主婦達は、いかに自分のほしいフィードサックを入手することに心血を注ぎました。一家の主も大変でした。買い付けには必ず奥さんか娘の同行が必要で、はるばる遠い道のりを買いにいき、2m近くあるうずたかく積まれた25kgの袋をどかしながら、奥さんのために希望の柄のフィードサックをとってあげたいう涙ぐましい努力の話しも…
こうして40年代初頭には400万人近くの人間がフィードサックを身につけていたといわれています(どうやって調べたのかわかりませんが)
そのフィードサックがなぜ世の中からなくなってしまったのでしょうか?
(続く →フィードサックストーリー(4))

フィードサックストーリー(2)

フィードサック(feedsack)とは、アメリカで穀物・種・食べ物・飼料などをいれるのにつかわれていた袋のこと。特に1930年代~50年代には華やかなプリントがなされ、人気を博す。H TOKYOではその時代のヴィンテージの生地を扱いハンカチにしています。
そのフィードサックにまつわるストーリーをご紹介します。
先回の続き19世紀半ばから1920年代まで。
19世紀半ばに開発されたミシンによってフィードサックは商業的に使用可能なものになり、19世紀後半には大量生産化されました。当初は家庭では空になった袋をもっていって、小麦粉や飼料などをつめてもらっていましたが、生産者にとって前もって袋つめしてある方が簡易なため、袋つめで販売するようになりました。1920年代まで綿は生地の中心でしたが、レーヨンなどの合成繊維が台頭すると、綿の価格は下落し、むしろ生産者はより綿の袋で供給しやすくなったのです。
そうして空になったフィードサックは、代わりに家庭でタオルやリネン、洋服、下着などにつかわれるようになったのです。
当初フィードサックは、漂白されてなく、会社の宣伝がプリントされた状態で販売されていました。主婦達は洋服やリネン類に使えるよう苦心しながらプリントを洗剤で落としました。それでも肌着としてつかうにはそこまでする必要もないと考える人もいて、おもしろい話が残っています。
ある女性が、婚約者と道を歩いていて、すべって転んでしまいました。婚約者は、フィアンセの下着に「SOUTHERN BEST!(南部で一番!)」と書かれているのを発見した…
すいません…アメリカンジョークなので。
1920年代にある新興の生産者があるアイディアを思いつきました。袋をもっとデザインしてかわいくすれば、農家の奥さんにもっと売れるのではないか?
(続く →フィードサックストーリー(3))

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