私の好きなハンカチ

一番好きなとっておきのハンカチ、つかいかた、思い出など、
ハンカチにまつわることを、H TOKYO/swimmieに関わる周辺のひとに、
お伺いしていきます。

今回は母の日も近いということで
三宿店・岡崎伊都子店長のお母さまにお話を伺いました。
若い頃のハンカチの思い出やその時代のことなども
いろいろお話しいただきました。

今までにお話を伺ったことのない世代なので
ぜひそのあたりもお楽しみください。

a

—お持ちいただいたハンカチの好きなところ、
オススメのポイントを教えていただきたいのですが
こちらはスワトウ※のハンカチですか?

はいそうです。昔スワトウのハンカチがとても人気で
「いつか持ちたい憧れのハンカチ」という感じでした。
それでやっと手に入れたはいいけれど
もったいなくて使えないという 笑
私が買ったのはそこまで高いスワトウではなかったと思いますが
やっぱり普通のハンカチよりは高かったですし
なかなか使えなかったです。

※中国三大刺繍の1つであるスワトウ刺繍。
ヨーロッパの感性と中国古来の技術が融合した
芸術的な美しさを持つ刺繍を施したハンカチ。

b

—こちらは綺麗な桜の柄ですね。

これは宇野千代さん※のデザインのハンカチだと思います。
宇野千代さんは桜がお好きだそうで桜吹雪の柄なんです。
姉からもらったものです。
私はお茶を習っていて着物を着る機会もあるのですが
着物には絶対必需品ですね。
懐に入れて持っていきます。

※宇野千代:大正・昭和・平成にかけて活躍した日本の小説家、随筆家。
多才で知られ、編集者、着物デザイナー、実業家の顔も持った。

c
※桜吹雪のハンカチとお着物を着る際に良く持つという絞り染めのハンカチ。

お着物の場合はやはりシミになるのも心配ですし。
習っている他の皆さんも手ぬぐいではなく
ハンカチを持っていらっしゃいますね。
私の姉は日本舞踊の先生をしていて
着物を日々着ることも多いのですが
やはりごはんを食べに行く時は 必ず持っていますし、
襟に挟んで汁などが 飛んでも大丈夫なようにしていました。
ちゃんとしたレストランなどに行けば
ナプキンも用意してあるかと思いますが
歌舞伎座なんかでお弁当を食べる時は
やっぱりハンカチが必需品ですね。
持っていないと怖いです。
ひとたびシミになるとシミ抜きも大変ですので。

—お着物の時は柄に合わせて選ぶのですか?

そうですね。
お着物に合うように少し日本的な柄を選ぶことが多いですね。
ちょっと着物柄ぽいような。

—小さいころはハンカチを持って行っていたのですか?

そうですね。
やっぱり「ハンカチ・ちり紙持った?」とは 親からよく言われていました。
学校でもハンカチ・ちり紙検査がありましたしね。
確か週に1回ぐらいだったと思います。

—その頃どんなハンカチを持っていたか覚えていますか?

柄までは覚えていないですけれど 昔は母がセーターを編んだり
お洋服を作ったりしてくれていました。
その時の端切れを使ってハンカチも作って
くれていたような気がします。
そんなハンカチをわざわざ買っていたという記憶はないんですよね。
でもそんなオシャレな柄はなかったんですよ。
高校生になってからはさすがに制服のスカートで拭けないですし
今のようにエアタオルもなかったですから
姉からのお下がりの花柄のハンカチなんかを
持って行っていましたね。

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—この写真ではハンカチをお洋服に留めていますね。

これは夫の小学校入学式の写真なのですが
名札の代わりに名前を書いたハンカチを
胸にしていたようです。

—社会人になってからはハンカチを持っていましたか?

持っていましたね。
社会人になった頃、ブランド物のハンカチが出始めた頃でした。
「イヴ・サンローラン」とか「クリスチャン・ディオール 」とか。
私達が若かった時代はこの辺りのブランドがとてもメジャーでした。
あのロゴのマークが入っているだけで
ステータスのハンカチだったんですよね。
「私いいハンカチ持ってます」という感じで
ちょっとわざわざ見えるように出したりして。
だからそれを自分で買えるようになった時は嬉しかったです。
小物までになかなかお金を使えるほど
余裕もなかったですから
ブランドもののハンカチは消耗品の中では高価なものでしたね。

—ハンカチについて思い出はなにかありますか?

ハンカチを持つことは「普通」でしたね。
取り立てて「特別」なことではなくて
ごく当たり前のことだったので
あまり記憶になくってごめんなさいね 笑
でもプレゼントにハンカチをいただいたり差し上げたり
ということが本当に多かったですね。
1枚を綺麗な箱にでも入れてもらえれば
そんなに高いものでもないけれど
そんなに安いものでもないですし。
とてもちょうどいいプレゼントでした。
今のH TOKYOさんはハンカチ好きな方が
ご自身のために買っていかれることも多いようですけれど
私たちの時代はどちらかというと
自分で買うよりもいただくことの方が 多かったように思います。
ハンカチってある意味消耗品なので
もらっても困らないですよね。
本当にちょうどいいプレゼントとして
よく利用されてきたと思います。
気持ち的にも金銭的にも双方重たくない贈り物ですよね。

—そのプレゼントのハンカチはどこで買っていましたか?

やはり百貨店ですね。
それこそ私たちの時代は百貨店に行くことは
ステータスでしたから。
当時海外のブランド物のハンカチは
百貨店でしか扱ってなかったですしね。
いただいた方もその百貨店の包装紙に包まれているだけで
「いいものいただいた」という感じでなんだか嬉しかった時代でした。
今でもあるとは思いますけれど
今以上に百貨店の包装紙の重さというか力があったように思います。
それにブランドもののハンカチは自分では
なかなか買えない贅沢品だったので
より嬉しい贈り物でした。

—ブランドのハンカチは特別なものだったのですね。

そうですね。
普段はブランドの入っていない普通の
ハンカチを持っていて なんかちょっとお出かけの時とかに
そのブランド入りのハンカチを持って
出るような感じでした。
勝負の時に取っておくというかね 笑
普段はある時からやっぱりタオルハンカチが増えてしまいましたよね。
でも昔はタオルハンカチなんでもちろんなかったですし
いわゆる「ハンカチ」を皆さん持っていましたよ。
タオルハンカチが出てきてからは
やっぱり少しおしゃれをして出かける場面で
ハンカチを持って行っていましたね。

—おしゃれをした時はハンカチもあると気持ちも
シャキッとする気がします。

ハンカチもそうですけどやっぱり身だしなみですよね。
ちょっと違う話になりますけれど
19歳とか20歳くらいの時に 少しいいレストランに
連れて行っていただける機会も多くなった時
あるフランス人の奥様がお料理を作って
ご主人様が給仕をされているレストランに
連れて行ってもらったんです。
若かったですしタンクトップにシャツブラウスを
羽織って前を開けて行ったんですよね。
その時にフランス人の特派員の方が来ていらしていて
お店のご主人にこうおっしゃったそうです。
「お若い人だからこれからのこともあるので
あえて失礼かもしれませんけれど言わせていただきます。
どんなに高価なものじゃなくてもいいです。
お安いものでもいいです。
でもボタンのきちっと閉められるようなものを
ディナーの時には着るものですよ。
これからそういう機会も増えるでしょうから
それは知っておいたほうが良いのではないでしょうか?」
と言ってくださったんです。
すごくありがたかったですよね。

—そうやって色々なことを知って大人になっていくのも
大切なことですね。

そうですね。それからはもちろんディナーの時は
気を付けるようになりましたし、
ハンカチもお出かけの時は持って行って行きますよ。
おしゃれなハンカチを持つことが
自分の中でレディーの身だしなみのひとつという感じですかね。

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※昔買ったハンカチ白いハンカチを今でも持っていらっしゃいました。

—ご家族はハンカチを持たれますか?

はい。夫の父は90歳を超えた今でもハンカチを持っています。
それは母が毎日必ず仕事に行く時に
ハンカチを用意しておいたからなんだそうです。
それが今でも習慣になっているようです。
自宅の洗濯機で洗えるような普段着にも
いつもハンカチが入っています。
ちょっとその辺に買い物みたいな時でも持っていますね。
身だしなみのひとつなんでしょうね。

—ご自身も旦那さまにそのようにハンカチを渡していましたか?

私は夫にそうやってハンカチを用意していたことは
なかったですね。
あえてハンカチをっていうのは正直記憶にないです。
今となってはどこでどうやって拭いていたのか 笑
やっぱり娘がハンカチ屋さんで働き始めてから
持つようになりました。
今ではいつもポケットにも入っていますよ。

—ハンカチは何枚くらいお持ちですか?

夫は20枚くらいは持っています。
わたしは5枚くらいですかね。
主婦なのでなかなか外に出る機会も少ないので
手ぬぐいやタオルを首に巻いたり
ちょっと買い物に出かけるときなんかはタオルハンカチを
持ってしまうことも多いです。
でもよそ行きバッグの中には必ず入っています。

—ハンカチの中で好きな素材や柄はありますか?

綿のハンカチも好きですけど
麻の方が素材としては好きですね。
H TOKYOで買った海外のリネンなんかも
日本にはない感じで色がとっても綺麗だったから。
柄というよりかは色に目がいきますね。
出かけるときにハンカチを選ぶときは
洋服に合うような感じかさし色を選びます。
あとは季節感ですかね。
なのでリネンのハンカチは夏場に活躍しています。

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※娘さんからもらった刺繍入りのリネンのハンカチ。

—もうすぐ母の日ですが ご自身のお母さんに何か差し上げたことはありますか?

それこそハンカチをあげましたね。
紙で作ったカーネーションが包装紙についていたのを覚えています。
やっぱり百貨店で買ったのだと思います。
我々の時代は特にそんなに高いものを母親にあげる
ということはなかなかできなかったので
ハンカチが一番しやすかったです。
結婚してからは母の誕生日が5月でちょうど母の日も近かったので
少し奮発したディナーをすることが毎年恒例になっていました。
そうやってできるようになったのも嬉しかったですね。

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—好きなハンカチの使い方はありますか?

使い方というか感動したものなのですが、
H TOKYOで働く亀山さん※がハンカチ1枚で折った
立体のうさぎです。
なんて素晴らしいんでしょう!と思いました。
ハンカチ1枚からこんな形になるのだとびっくりしました。
それに「しろいうさぎとくろいうさぎ」という絵本があって
娘たちにも読んでいましたし色もそのままでしたからとても気に入って。
飾ってあるとどうしても汚れてしまいますけど
ハンカチなので一度解いて洗濯して
またお願いして折っていただきました。
自分で折れたらいいんですけど。
講習会をしてほしいくらいです 笑
飾っているのがピアノの上ということで重たいものだと
震災のこともあったりして落ちたときに傷つかないようにできますし、
うさぎは我が家の守り神というかシンボルなので。
夫も私も卯年なのと何かでうさぎは守り神だっていうのを聞いたので
我が家にはうさぎがたくさんいます。
なのでどこかでうさぎのいいものを見つけた時は
買ってきています。

※以前の亀山さんのインタビューはこちら

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※岡崎家のうさぎシリーズのひとつと、ピアノの上に置かれいる様子。

・このうさぎは以前H TOKYOで開催されていた
ハンカチ研究会で「干支をハンカチで表現しよう」という
課題の中で亀山さんが考えたうさぎなんですよ。

ご自分で考えたなんて本当にすごいですね!
これはわたしにとって一番のハンカチのエピソードです。
若い頃持つことが憧れだったハンカチが
立体になって我が家の守り神になっちゃったみたいな 笑
これは本当に素晴らしいハンカチの使い方だと思います。

ありがとうございました。
ハンカチが当たり前でありながらも
ちょっとした憧れになっていた時代があったなんて
素敵だなと思いました。
ぜひこれからも「持ちたくなる」、そして「差し上げたくなる」
ハンカチを作っていけたらと思いました。

僕の好きなハンカチ

一番好きなとっておきのハンカチ、つかいかた、思い出など、
ハンカチにまつわることを、H TOKYO/swimmieに関わる周辺のひとに、
お伺いしています。

今回はH TOKYOの包装紙やショップカードなどの
折りの工程など、様々なところで助けていただいている
世田谷福祉作業所の中村勘太さんにお話を伺いました。

ハンカチのことはもちろん
福祉作業所のお仕事についても
色々教えていただきました。

a

—お持ちいただいたハンカチの好きなところ、
オススメのポイントは何ですか?

実はこれ、つい先日衝動買いしたハンカチです。

—これはH TOKYOの丸の内店で 先行発売されている
「キッテハンカチ」ですね!

そうなんです。先日KITTEに伺って買いました。
「これからお気に入りにするぜ!」という ことを
お伝えするためにお持ちしました 笑

b

—ありがとうございます!嬉しいです!
こちらは年季が入っているハンカチですね。

とっておきはこちらで たぶん、もう20年以上前から持っていて
しかも今でもかなりヘビーに使っている 現役バリバリのハンカチです。
持っていると落ち着きますし これがないと寝られない
ってほどではないですけど 笑
でもそれに近いタイプのものです。
だからボロボロなんですよね。

—これは「となりのトトロ」ですよね?

はい。僕ずっとジブリが大好きで 親に買ってきてもらったんです。

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—ジブリの中では「となりのトトロ」が一番好きなんですか?

僕下の名前が「勘太」というのですが そういう意味で、
トトロはとても他人事でない身近に感じる作品なんです。
※主人公サツキのクラスメイトで「カンタ」くんが登場するため。

—小さな頃からハンカチはお持ちだったんですか?

いえ、ハンカチ・ティッシュを毎日持っているような
そんな子供ではなかったです。
うちは父子家庭で父親だけなので
毎日「ハンカチ・ティッシュ持った?」というような
こともなかったですね。
なので鼻水はゴシゴシと手で拭いてましたし
手を洗ってもズボンや洋服で拭いてました 笑
もしハンカチを持っていたとしてもポケットに入れておくだけで
そのまま洗濯機にというような感じでした。
ですからハンカチを持ち歩くということは
あまりなかったように思います。

—でもこのトトロのハンカチは小学生くらいから
お持ちですよね?

そうですね。
でも買ってもらった当初は毎日持ち歩いていたわけではなくて。
だんだん成長して体質も変化して アレルギー体質がヘビーになってきてからですね。
だから持つようになったのは大学生くらいになってからだと思います。
鼻に何か生地が当たっていないと不安というのは 笑

–生地はタオル生地がお好きなんですか?

はい!基本僕ハンカチはタオル生地ラブなんです!
というのも、まず泣き虫であること。感動泣きが多いんです。
それと結構な鼻炎持ちなので
鼻の下に何かがないと落ち着かない体質の人間なんです。
ティッシュで鼻をかみ続けると
鼻の下がガビガビになってしまうので
そうなったらタオル生地のハンカチの出番なんです!
ハンカチをあてているだけでだけで安心しますし
寝るときもタオルを顔にのせて寝ています 笑
今の季節は毎晩そうですね。

—本当にタオル生地がお好きなんですね。
昔から使っていたのですか?

そうですね。高校の時は陸上部だったので
その時はスポーツタオルをずっと首に巻いていましたし
大学ではテニスサークルだったんですが
やはり常にスポーツタオルを首に巻いていて
タオルとともに生活しているという感じです 笑
それくらいの存在です。 そうこうしているうちに鼻炎がひどくなってしまったので
そのつど箱ティッシュを持ち歩いていたのですが
箱ティッシュ持ち歩くのも大変だし、勿体無いし大変だなと思った時に
「タオルを1枚持てば解決する!」ということを発見し、
タオルハンカチを使い始めました。
なのでトトロのハンカチも
キャリアは20年ですがだいぶ遅咲きです。
ただ使っては洗濯、使っては洗濯を繰り返していて
干したらすぐ使うという感じなので
ボロボロな感じになってしまいました 笑

—こちらのハンカチはフォーマルな時に使う感じですか?
そうですね。
そんなに服とかおしゃれとかは気にしないんですけど
僕の一張羅といえばFRED PERRYなんです。
結構衝動買い系のハンカチです。
広げると柄が4つになっているところもいいですし
「ザ・FRED PERRY」な感じがして。
これは鼻を拭くタイプのハンカチではなくて
いわゆる見せハンカチです。
なのでこれはむしろ使わないかもしれません。
本当にちらっと見せるというか。
見せハンカチの中でもより「見せるだけハンカチ」というか。

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—タオル以外のハンカチも買われることはあるんですね。

それはもう最近になってからですね。
フォーマルに使えるものも持っていないとダメだなって
思ったんです。

—何かきっかけがあったんですか?

社会人になって友達の結婚式とかもそうですし、
8年か9年前にじいちゃんが亡くなった時に思いました。
葬儀の時って礼服着てるじゃないですか。
出棺のとき号泣だったのですが
さっきのトトロのハンカチみたいなものしか持っていなくて。
実は恥ずかしくて出せなかったんです!
なので拭くこともできずに涙も鼻水もダラダラ流してて。
すごく悲しい気持ちと 恥ずかしくてハンカチが出せないという気持ちの狭間で
苦しみながらじいちゃんを見送ったんですよね。
「ああダメだな」って思ったんです。
それでいくつかフォーマルな時にも使えるハンカチを買いました。
でもやっぱり最初はタオル生地を買ったんですけどね 笑
必要性に迫られて、使うハンカチのジャンルを広げた
というところもあると思います。
受け身なハンカチライフですよね。
正直自分から「ハンカチが好きで!」と買うことはないんですけど
「使う」というところでは買っています。

—H TOKYOのハンカチを知ったきっかけは
やはり作業所さんでお願いしているお仕事ですか?

はい。大学の時からハンカチは使ってはいましたが
こんな風にハンカチにもおしゃれなものがあるとか
ハンカチ屋さんがあるとかそういった感覚は全然なかったんです。
世田谷福祉作業所に来て働き始めて
近くにH TOKYOというハンカチ屋さんがあって
そのお店から作業として包装紙やショップカードを
折る仕事を受けているのだと
先輩職員から教えてもらってはじめて知った感じでした。
失礼な話ですけどハンカチ一本で
作業所に仕事の発注ができるくらい商売が成り立つのかって
びっくりしました 笑
でも仕事を引き継いだ当時は
緊張する取引先さんという感覚が強かったですね。

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※世田谷福祉作業所さんで折っていただいている包装紙とショップカード

— 中村さんは世田谷福祉作業所さんで働く前も
同じお仕事をされていたんですか?

そうですね。
世田谷福祉作業所は社会福祉法人武蔵野会が
運営しているのですが、以前は同じ法人の別の施設で働いていました。
それが伊豆大島にある入所の施設だったんです。
島で4年間暮らしていました。

—大学を卒業されてはじめて働いた先が島ですか?

はい。そうなんです。
トトロのハンカチも連れて行きました 笑
配属先を希望できたんですが、自ら島を選びました。
青写真を描いていたんですよね。
のどかなスローライフというか。
当時テレビドラマで「Dr.コトー診療所」がやってて
島の人たちがすぐに覚えてくれて、優しく声をかけてくれて
頼りにしてくれるみたいな。
でも現実は真逆でした 笑
そんな一朝一夕には覚えてもらえないですよね。
その後異動して5年前に世田谷福祉作業所に来ました。

—H TOKYOと密にやり取りしてくださるようになったのは
最近ですよね。

施設の中の仕事としては作業の部門がいくつかあるんです。
その中にリーダーがそれぞれいます。
民間の企業や世田谷区からの仕事を請け負う窓口と
お菓子を作ったり手すきの紙雑貨を作る部門のリーダーが
一人ずついて3トップみたいな感じになっています。
企業や世田谷区からの仕事を請け負う仕事の窓口を
平成27年度から自分がやっています。


※ショップカードを折っている様子

—大学でも福祉のことを学んでいらしたんですか?

いえ、まったく違います。
大学では日本史を選択していました。
今全く役にたっていないです。
少しくらい歴史好きな人とかいないかな〜とは
思っているんですけど 笑 なので「大学卒業」というところだけが
残った感じで、勉強が今につながっている感じではないです。
教員免許はとろうかなあと思っていたのですが
途中でやっぱりいいかなと思ってやめたので
何も資格も知識もない状態でした。
バイトで少しかじっていたところはあったのですが。

—アルバイトでどんなお仕事をしていたのですか?
メインは焼肉屋だったんですけど 笑
ちょっと知り合いからお願いされて
知的障害を持つ小学生から高校生までの子供の
放課後の活動を支援する事業所があって
そこでアルバイトをしていました。
就職活動を始めるときに毎日スーツは絶対嫌!と思っていて
それでこれを仕事にしたらいいのではないかと考えました。
それで見つけたのが今の法人でした。
さらに島の勤務もあったので面白いじゃんと思って
面接の時も「大島に行きたいです」と話しました。

—実際に働いてみて仕事は好きになりましたか?

よく知らないし、福祉業界で何がしたいということも
あんまりビジョンがないまま働き始めたので
1年目、2年目はよく分からなかったです。
楽しいと言うよりはよく分からないという感じでした。
楽しくも辛くもないしモチベーションもないというか。
島も思った生活と違うし・・ そんな1、2年目でした。
自分から希望して行ったものの、
異動できるチャンスを早くも伺い始めていました。
でも3年目になって、大島での生活の中で地元の知り合いができたり
ごはんをご馳走になったりしているうちに
島暮らしが楽しくなっていました。
プライベートが充実してくると仕事にも目が向いてくるというか。
それからですかね、仕事も楽しくなったり
「これを頑張ろう!」というものが出てきたのは。

—島でも今と同じように利用者さんと一緒に
お仕事をするような感じだったのですか?

入所施設だったのでそこにずっと利用者は生活しているんです。
日中は作業する人もいれば
リラクゼーションをしたりとかもありましたが
分かりやすくいえば、「お風呂、ごはん、寝る、トイレ」などの
生活面の支援もありました。
ローテーション勤務で夜勤とかもありました。
世田谷福祉作業所の利用者より
障害が重度の方が多かったので
そういった支援の仕事をしていました。

—ハンカチについてのこだわりはありますか?

やっぱり基本はタオルハンカチです。
吸水力と慣れ親しんだこの生地感ですね。
これからもずっとタオルハンカチを中心に
見せハンカチを少し増やしていく感じだと思います。
「使う」なら、まずはタオル生地の中から選びますね。
あとは汚れが目立ちにくいとか。
「見せる」なら、ほらすごいでしょって
思わず見せたくなるものやポケットからちらっと
見えておしゃれなものがいいですね。
「こんなところにもちゃんと気を使っているんだ」と
思ってもらえるような。
ある意味見栄ですね 笑
見栄で買ったハンカチはよほどのことがあっても使いません。
二刀流のハンカチ王子なので。

—好きなハンカチの使い方はやはり・・・笑

涙を拭く、鼻を拭く、抑えるですね。
電車とかでも鼻炎で困ることが多いので
ヘビーユーズするハンカチは
ビニール袋に入れてから鞄に入っています。

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※実際に持ち歩くときの様子

—ハンカチは何枚くらいお持ちですか?

見せハンカチが5、6枚。
でもこれは劣化しないのでずっと増えていくだけでしょうね。
あとヘビーユーズしているタオルハンカチが10枚くらい。
これは使い潰す感じで100均で買っちゃうものもあれば
とっても上質なタオルハンカチもあります。
実は第三形態のハンカチもあるんです。
それも入れると30~40枚くらいですね。
残りの15〜20枚が第三形態です。

—第三形態ってなんですか?!

これはですね、趣味を兼ねたコレクションです。
実はこのトトロのハンカチもコレクションだったんです。
僕、スタジオジブリがめちゃくちゃ好きで
それと劇団四季も好きなんですよ。
舞台を見に行った時とかに手軽に買える
オフィシャルグッズとしてタオルハンカチを集めているんです。
なので基本は使わないです。
でももしかするといつかヘビーユーズに
移籍する可能性も秘めていますけど 笑

—第三形態チームは引き出しの中に入っているんですか?

大島にいた時は家を借りていたんですが
家賃が安いので広い平屋の一軒家に住んでいました。
その時は壁がいっぱいあったので
ジブリや劇団四季のグッズを全部飾っていました。
ストラップや非売品の何回か見たらもらえるグッズとかと
タオルハンカチも並べていました。
まるでミュージアムでした。
今は引っ越して家も狭くなってしまったので
引き出しの中にしまってあります。

—引き出しの中のハンカチたちはたまに眺めたりするんですか?

そうですね。
あとは何か人前で劇団四季のパロディとかをやる用事が
ある時にギャグ的に使ったりもします。
ハンカチをつなげてスルスル出してみたりとか。
そういう用事を自分で作り出したりもしますね 笑
これが第三形態の使い方です。

—世田谷福祉作業所でのお仕事について教えて下さい。

外からのお仕事だと、折り込みちらしを挟んだり
それをそのままポスティングに行くこともあります。
和菓子の箱を組み立てたりもありますね。
近隣の公園のお掃除もしています。
あとはお菓子の製造と手すき紙の雑貨作りです。


※包装紙を折っている様子

—色々なことをやってらっしゃるんですね!

はい!やれないものはないと思います。
どうにかやり口を見つけてやってみせますので
ぜひお仕事ください!!!
普通ならめんどくさいと思ってしまう仕事こそ
得意な人もたくさんいますので。

—今後やってみたいこととかありますか?

我々としてこういう施設があるということを
まず知ってもらいたい気持ちはもちろんあります。
どんなことでも来てくれたりお仕事をいただいたり
することはとっても嬉しいんですけど
お仕事を頼もうとか来てみたいと思えるためには
どうすればいいかなと思っています。
それに、僕たちも相手のことを知らないとその辺って
歩み寄るの難しいと思うんです。
ただ「障害を持った人が頑張っています!」
とアピールするだけではなく
そういう福祉とかが分からない人でも
なんとなくニュアンスがわかる表現やツールを使って
発信できるといいなと思っています。
そのパイオニアとなるのが先日作った新聞です。

わいわいコマーシャル

—これはH TOKYOでも話題でした!
大変なお仕事だと思いますがとても楽しそうだなって。
ああいった時間を作っていることもすごいなと思いました。

あれももちろん仕事なので勤務時間中にやっています。
どんな時間かは企業秘密です 笑

—このお仕事は好きですか?

好きですね。
もちろん大変なことも嫌なこと、苦手なこともありますけど
それも楽しむというか。
「あれもこれもすごいことになった!」
みたいなことを楽しむ癖があるんですよね 笑
カオスになることに快感を覚えてしまうところがあるので、
そういう意味では向いているかもしれません。
大変な仕事ではありますが
でも大変じゃない仕事ってないじゃないですか?
それは、「ものは考えよう」かなと思います。
福祉だけが大変なのではなくて
仕事している人はみんな大変で、
福祉は福祉の大変さがあって。
そのひとつにすぎないかなと思っています。
「なのでなんで自分だけが!?」とか
「この業界は・・・」とかは思っていないです。

—中村さんからはとてもその前向きのオーラを感じます!

ありがとうございます!
もちろん反動で家の中でじーっとしている時もありますけどね。
それもバランスですから 笑
異動もあるのでずっとここにいるわけではないと思いますが
別の場所に行ってもその場所にあった盛り上げ方、
盛り立て方があると思うので そこを活性化していきたいですね。
今の立場的にも施設の中で直接利用者を支援するっていうことよりは
その職員を指導したり施設と外の企業や仕事とコラボしたりマッチングしたり
新しい何かやろうよ!という役割が増えてきたのですが、
それも福祉の仕事かなと思っています。
僕なんかは学生時代は全然勉強もしなかったから
実際に利用者と関わる仕事のレベルでは、
僕より優れている職員はたくさんいるし
自分は自分で得意な部分を生かして外から
色々なものを取り込んできて・・というところを
楽しみながらやるのがいいのかなと思っています。

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※ハンカチの使い方を実演してくださったお茶目な中村さん

ありがとうございました。
中村さんの前向きパワーにとても元気をいただきました。
お店にいらした際は世田谷福祉作業所の
利用者さんたちが折ってくださった包装紙やショップカードも
ぜひご覧ください。


中村勘太
1984年5月28日生まれ 32歳
血液型 A型
日本大学卒業
テニスサークルとお酒に明け暮れた結果、
一年間の留年を味わい、テニスサークル現役時代の輝き(?)とは対照的な
日陰を歩き続ける学生生活も1年間経験。
卒業後、社会福祉法人武蔵野会へ入職し、
伊豆大島にある入所施設で4年間、勤務した後、
現在の世田谷区立世田谷福祉作業所に異動、現在に至る。
働きながら、国家試験の勉強をし、介護福祉士と社会福祉士の資格を取得。
社会人になってから勉強する楽しさにも少しめざめ、
現在、漢検準1級受けようかな~と考えている。

私の好きなハンカチ 後編

一番好きなとっておきのハンカチ、つかいかた、思い出など、
ハンカチにまつわることを、H TOKYO/swimmieに関わる周辺のひとに、
お伺いしていきます。

21人目はswimmieのディレクションを担当する亀山薫さんです。
銀座店が1周年を迎えるにあたって
ハンカチへの想いを聞いてみました。
好きなハンカチの話からswimmieディレクターとして
またクリエイターとしての考え方など様々な
側面から話を聞くことができました。
前編後編に分けてお届けします。
後編はH TOKYOで働き始めたころのことや
swimmieのディレクターとしての話などをお届けします。

A-2

—H TOKYOのハンカチを知ったきっかけはなんですか?

2009年に紹介で週2日、働き始めたことですね。
もうすぐ丸8年になります。
働くようになってからはすごくハンカチを
意識するようになりました。
それまでも生地そのものに興味がありましたし、
四角い仲間でいうと、スカーフが一番好きでしたね。
母が昔使っていたものをもらったり、
古着屋さんとかでもよく買っていました。


※オープン当初の三宿店

—ハンカチ屋で働くことに対してはどうでしたか?

ハンカチ屋のバイトがあるよって紹介してもらった時に
「え?ハンカチ屋?!ハンカチだけなの??」と思いましたし、
ハンカチ屋と聞いて初めにイメージしたのはなぜか駄菓子屋的な感じでした 笑
暇なのかな…とも正直思いましたが、
実際はやる事がたくさんで一日があっという間でしたね。
布も好きでしたし、刺繍をしたり、
自分の制作にも近い部分があったのでとても興味がありました。
あとは入って3回目で一人でお店を任されてびっくりしました 笑
一人でお店を任されるという経験がなかったので
不安でもありましたし、衝撃でしたね。
はじめはすごく緊張していたことを覚えています。
自分の活動は家やアトリエで引きこもって制作をしていたこともあり、
働きはじめてからは本当に楽しくて、
仕事なんですが、ある意味息抜きのような感覚がありました。

—ご自身でもito*melという屋号で活動されていらっしゃいますが、
生地は昔から好きだったのですか?

はじめるまでは今ほどには意識はしていなかったと思います。
自分のブランドでは「生地を使う」というよりも
「生地を編んで作る」ということをしていたので
どうやって作られるのだろう?というところには
すごく興味がありましたね。
他にもビーズや革、ニットなどを使用しているのですが
生地はバッグの裏地のように補強のために使ったり、
テープ状にして糸として編むのに使っていましたね。
でも裏地も素敵だといいなと思って
いろいろな生地をよく見るようになりました。

—ハンカチは何枚お持ちですか?

数えてみたら130枚以上ありました!
引き出し1段にびっちり収まっています。
ほぼH TOKYOとswimmieのハンカチです。
仕事の道具っていうのも違うんですけど
でも自分で実際に使って、
経年変化を確かめたいということもありますしね。
もう素材がなくて二度と作れないとか言われてしまうと
やっぱりついつい気になって買ってしまいますね 笑
この調子でこれからまたどんどん増えていきますよね。

—すごい数ですね!
でも先ほどもお話していただいたように
勉強や資料っていうところもありますよね?

そうですね。
コレクションみたいなところもあるかもしれませんね。

—swimmieを立ち上げたのが2014年の6月ですよね?
どういった形でスタートしたのですか?

2013年にレディースメインのハンカチを
スタートさせたいという話がオーナーからあり、
まずはito*melとしてハンカチの柄を
描きませんか?というのが始まりでした。
その後、依頼をさせていただく作家さんのセレクトや
コンセプトを考えたり、デザインをしたりといったディレクションを
お願いできないかというお話もいただきました。
2014年の初めくらいに本格的にスタートしたような感じです。
その頃はすでに新潟に住んでおり、
販売の仕事はお休みをさせていただいていたのですが、
こんなカタチで携ることができるなんて思ってもいなかったので、
お話をいたただけて本当にうれしかったですね。

—コンセプトは亀山さんが考えたものですか?

そうですね。
どんなイメージのブランドにするかというところも提案させていただきました。
H TOKYOというメンズメインのブランドがすでにある中で、
同じくハンカチの新しいラインだったので
同じでは意味がないですし、別の角度から考えていきました。
「男性」と「女性」ということを考えたときに
「女性」ってなんだろう?と思って
たどり着いたのが「水」でした。

—「水」ですか?

はい。
水は気体、液体、固体と条件によって姿が変わりますよね。
でも本質は変わらない。
女性も一人の人間という本質は変わらないまでも、あらゆる面で姿を変えます。
その流動的な(フレキシブルな)ところが女性らしさなのではと考えました。
娘、妻、母、いち社会人…ときどき男よりも男だったり
男性もそうかもしれませんが、より女性の方がそれを強く感じます。
このコンセプトは自分の中でもすんなり出てきたように思います。
「swimmie(スイミー)」というブランドの名前を決めたのはオーナーです。

—どうしてswimmieだったのですか?

水の「スイ」と「三態」で「スイミー」です。
よく間違えられますが、魚のスイミーとは関係ないです 笑

—その後6月にお披露目したんですね?

まずは展示場所が世田谷ものづくり学校に決まって
すごく広い場所だったので、50柄は必要だ!ってなりました 笑
その展示をするときには12作家さんにお願いして
一緒に作っていただきました。
swimmieのオリジナルデザインのハンカチの展開は
この展示が終わってからスタートしました。

s05

N02
※ものづくり学校での展示の様子

—そこから催事などで展開をしていきましたね。

二子玉川の高島屋に始まり、新宿ルミネ、
あとは短期間で池袋パルコや、立川ルミネなど
転々としていました。
それでようやく2016年3月31日に
東急プラザ銀座のオープンと共にお店をスタートさせました。

—お店はオーナーやマネージャーと
話をしながら作っていった感じですか?

そうですね。
お店のデザインをしていただいたgift_labの後藤さんにも
大変お世話になりました。
小さなお店ですし、とにかくハンカチが目立つように
シンプルな作りにできればと思いました。
あとはH TOKYOのお店との差別化ができることと
シンプルながら何か面白い仕掛けができればと思いました。
「水」というコンセプトを伝えられるようにもしたかったので
光の反射を使って水の揺ぎを壁に映しました。
本当は水が流れたりできたらよかったですけど むずかしいですしね 笑
ものづくり学校での展示から飼っていたメダカたちも活躍してくれて
スイスイと泳いでくれると揺らいでとっても綺麗なんです。
大事な演出スタッフたちですね!
子供たちもどんどん生まれているようです。

O02

—ito*melとしてもハンカチの柄を作っていますよね?
デザインの発想はどんなところからきているんですか?

「ことば」の入ったハンカチシリーズは、
ito*melで「かばんのなか」というシリーズのバッグを作っているのですが、
バッグの中ってかなりパーソナルなものだと思うんですよね。
いろいろなモノや感情のカケラが入っていたりして、
小さな宇宙だなって思ったんです。
「バッグの中をみせて」なんて簡単にはいってはいけないような…
そんなパーソナルな場所だからこそ
ふとしたときに我に返れるような、落ち着く場所なのかも知れないって思って
バッグをのぞいたときにその人にしかわからないような
その人にとってのおまじない的な「ことば」を入れたいなと考え、
詩人のしおいりあさこさんに「ことば」をお願いしました。

ハンカチもそのシリーズの延長で、
前編でお話したようなパーソナルなものではあるし、
いままでたくさんのハンカチに触れてきた中で、
swimmieらしさが出るような、私らしいハンカチってと考えた1つです。

私自身は絵が上手ではないことにコンプレックスを持っているのですが、
でも色や絵の具が滲んだ曖昧さが好きなので
色をおいてくるという気持ちで作っていきました。
ハンカチの言葉はバッグの時もお願いしたしおいりさんに
swimmieのコンセプトをお伝えして、
「ハンカチに書いてあったらいいなと思う言葉を書いて」
とお願いして何案かいただきました。
そのswimmieのコンセプトをすごく素敵な言葉で
表現してくださっていた詩があったので
もともとはハンカチに入る予定の詩だったのですが
コンセプト文に使わせてもらったんです。

もうひとつは四角ではないハンカチを作りたくて
2種類のお皿柄を考えました。
裏にはお皿の刻印をまねたスタンプもつけています。
お食事の際に膝に敷いて、食べこぼしをしたとしても
「ほら、お皿の上だから大丈夫よ」っていう、
通称「おそそハンカチ」 笑
こちらはランチョンマットやテーブルセンターとして
使ってくださる方も多いですね。

それと、フレンチヘムにタッセルが角についているハンカチも作りました。
タッセルはito*melでの代表作でもあるので、私らしいかなと。
今は在庫がないのですが、もう一度作れたらなと思っています。

—ディレクターとしてswimmieの今後の方向を
どう思っていますか?

swimmieをはじめたときのコンセプトと変わらず
H TOKYOがスタンダードなら
swimmieはフレキシブルというのがテーマですね。
お互いいい意味でのライバルとして
色々な方向からハンカチの提案が
できたらいいなと思っています。
トイレには今ハンドドライヤーやペーパータオルがありますし、
ハンカチの必要性はさらに減ってくるかもしれません。
でもハンカチを持つことって日本人らしいなって思うんです。
だからハンカチを好きになってくれたり
使ってくれる人が増えるようなハンカチを作れたらなと思います。
昔の縫製技術も素晴らしいので残していきたいですし、
どんどん紹介したいです。
ものづくりをしている以上そういったことに
少しでも貢献したいです。

—ハンカチを広げていきたいですね。

そうですね。
「ハンカチ持った?」という文化を広げ直せたらいいなと思います。
私が幼い頃は「ハンカチ落としゲーム」というゲームもあったくらいなので、
だれもがいつも持っているとても身近なものだったはずですよね。
自分がハンカチをそれほど必要としていなかった側から
今ではハンカチなしではいられない生活になって
少しはハンカチと共に大人に成長できたかなという気持ちになるんですよね 笑
そもそも基本に戻ったというか。
きちんとハンカチを持っている人を見ると
清潔感があるな、素敵だなって思いますし。
ただ縫われた小さな四角い布なんですけど
ずっとずっと残っていくといいなと思っています。
残すためには私たちが提案をしていかなければですよね。
ハンカチは手を拭くだけって誰が決めたの?って思いますし。

—ハンカチに対する思い出はありますか?

それはここでハンカチに携っている8年すべてです!
ハンカチのことを考えない日はないですし
ハンカチを通してご縁があった方もたくさんいらっしゃいます。
憧れていた作家さんもたくさんお会いでき、
一緒に仕事をさせていただく事もできました。
今の自分を作っているというか。
きっと「あぁ、ハンカチの人ね」って覚えてくれている
人も多いと思うのですべてが思い出ですね。
ちょっと重いですよね 笑

—一緒に働いていますが、発見のあるお話を
たくさん伺うとことが出来ました。
これからもハンカチを広げるべく
一緒に頑張れたらと思います。
ありがとうございました。

亀山薫(亀山める)
swimmieディレクター。
また、ito*melを屋号とし、ニット、タッセル、ビーズ織、ペイントなど
様々な手法を用いて、日常の身近な景色や思い描いたイメージを
アクセサリーで表現し制作している。
instagram:swimmie_note

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